食べることは、いのち・くらし・じんせい。

 
 
 

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ちょっと気になる「食」のこと。
食に関する話題を週替わりでお届けする「らぼめも」。
ひとつまみぐらいのお智慧調味料をめざします。


「命は食なり」

 
フードラボのトップページに、「食べる」とは、「いのちと向き合うこと」とありますが…
太古の昔から多くの人が『食は命なり』と唱えて来ました。
これには食物の摂り方によって、健康はもちろんのこと、
その人の運命まで左右されるという意味も含まれているのだとか…。
 

『命こそが運なり。食こそが命なり。すなわち食こそが運なり』

 
これは、江戸時代の観相学者・水野南北の言葉。

「運は食なり」と喝破し、食事を少なく粗食にすれば運がひらける

と断言した水野南北ですが、
その根拠は?
 
 

 
水野南北は大阪は阿波座の生まれ。子供の頃より盗み、酒を覚え、酒を飲むために育て親の稼ぎ集めたお金を持ち逃げし、酒と博打と"喧嘩に明け暮れる無頼の徒として生活していました。
ある日天満橋の大道易者より「死相が出ている」と告げられます。
身に覚えもあり死にたくないので、禅寺に出家を願い出たところ、「半年間、麦と大豆だけの食事が続けられたら弟子にする」といわれ、堂島川で川仲仕をしながら言われた通り麦と大豆だけの食事を続けたところ、顔から死相が消えたばかりでなく、運勢が改善してしまったのです。 
こうした体験から観相学に興味を持ち、髪結い床の見習い3年、湯屋の三助業、火葬場の隠亡焼き3年と徹底した観相の研究を実施して観相学の蘊奥を究め南北相法を完成し、節食が運勢を改善することを唱えたといいます。
(wikipedia参照)
 
 

南北いわく…「節食は、運気を開く 」相法修身録より

 
食事量の多少によって、人間の貧富や寿命や未来の運命を予知することができる。古人の言葉に「天に禄なき人は生じず、地に根なき草は生えず」ということばがあるが、その身ほどによって天より与えられた一定の食事量がある。みだりにむさぼり食う者は、天の戒律を破る者である。生命の存在するところに必ず食べ物があり、逆にいえば食べ物あるところに必ず生命が発生する。食べ物は生命の源であり、生命は食べ物に随うものである。そして人間の生涯の吉凶は、ことごとく食によって決まるといっても過言ではない。
 
いつも身のほどに不相応の美食をしている者は、たとえ人相は吉であっても運勢は凶である。その美食癖をあらためなければ、家を没落させ、出世も成功もおぼつかない。まして貧乏人の美食家は「働けど働けどわが暮し楽にならず」で、一生苦労する。
 
仏法は精神を治めることを本とするゆえに食を慎むのである。なぜなら万事心が乱れることは、みな飲食を本として起るからである。飲食を慎むときは心静かになり不動心を得る。不動心を得れば、その道(仏道)を得ることはたやすい。
 
万物ことごとく妙法でないものはない、また相でないものもない。また相には有無の二つあって無相はかたがないといってもその全体像ははっきりしている。これを微妙という。すなわち心であって簡単にはいいあらわせない。また有形は形であって、かたちのあるものは法であり、体もそうである。法あるものは滅びて行く。これが法の道であり相法の道である。性ことごとく微妙より来たって、はっきりと法形を生ずる。
 
 

「祈り」と「食」 

 
また南北は、「運が悪くて難儀ばかりしているが、神に祈れば運が開くでしょうか」という質問に対して、こう答えている。


「真心をこめて祈らなければ、神は感知してくれない。真心をもって祈るとは、自分の命を神に献じることである。そして食は、自分の命を養う基本である。これを神に献じるということは、自分の命を献じるのと同じことである。
 

どうするかというと、いつもご飯を3膳食べる人なら、2膳だけにしておいて、1膳を神に献じる。といっても本当に1膳分を神棚なら神棚にお供えする必要はなく、心の中で念じればよい。自分が祈りを捧げたい神仏を思い浮かべて、その神仏に向かって『3膳の食のうち1膳を捧げ奉ります』という。そうして自分で2膳を食べると、その1膳は神仏が受け取ってくれる。そうすれば、どんな願いごとでも叶えられる。小さい願いごとなら1年で、普通の願いごとなら3年、そして大望は10年で叶う。」
 
 「食べることは自分の命を養う基本である。」
そう思って毎日の食事を一食一食、丁寧に食べてみてください。
料理を五感で受けとめて、しっかりと噛み、じっくりと味わい、「食べる喜び」を感じてください。
きっと身体が変わってくると思います。
(フードラボ)